なんのために働くのか

また、重た目のタイトルを書きましたが、最近、考えることが増えました。
プラスに捉えたら「少し立ち止まる余裕ができた」かもですが、マイナスに考えたら「限界を超えて疲れ果てた」も否めないですが、まだ、それを感じる感情の余裕さえない気がします。ただ、ずーっと走り続けてきたけれど、残りの人生の年数を数えるようになり、自分の今までの人生と、これからの人生について考えます。

サラリーマン時代「自分の思うように」は仕事をさせてもらえないことが一番の不満だった。今は「自分の思うように」できる。全て自己責任だけど、一番不満だったことはなくなった。しかし「なんでもできる」と言うと、そういうことじゃない。なにかをやるには、お金がいる・時間がいる。細かい事務仕事から、何から何まで「自分で決めて自分で動かなければ」先がない。

サラリーマン時代は、自分の働きの価値よりずっと高い給料をもらえてた(自分なりに毎日精一杯働いていたけれど、謙遜じゃなくそう思います)。そして(今の自分では到底無理な単位の予算をもって)大きな規模の仕事を任せてもらうこともあった(恵まれていたと思います)。その場所を飛び出してきたことを後悔したことはないけれど、あらためて、その時の環境と仲間にも感謝だなぁとじみじみ思います。

働くことが「お金のため」であるならば(以前、ベテランの税理士さんに言われたように)「カフェなんてすぐ辞めて、パートにでなさい。そしたら、月20万でももらえるでしょ?」が正論。相変わらず、自分の給料は出ていない日々・・どころか、貯蓄を減らしてる。先日も、これまた、カフェの大先輩に「辞めちゃうこともひとつだよ」と。

昨日は、飲食の先輩から、安くて予約がとれない店になってるという話を伺った。忙しいのに利益が出ないと言っていたけど、それでも、頑張ってる姿は素敵だと思った。

それから、最近、外国の方の来店が増えました。カナダ・イギリス・アメリカ・台湾・中国・・。先日は、世界一周してる家族が、数日の滞在しかない日本での夕食の1シーンにカフェむすびを選んでくれました。外国の方は、みんな口を揃えて「海外では、どの店でも、ベジ・ヴィーガンの選択肢があるのに、日本はほとんどない」と。

そして、昨日は、シーズー集合。シーズー2頭連れたお客様、1頭連れたお客様、以前、シーズーを飼ってたけど、今は飼っていないというシーズー好きのお客様が、偶然同じタイミングで。わんちゃん同伴できるお店って、わんちゃんを介して、みんな、すぐに打ち解ける。その空気感が好きなのも、わんちゃん同伴できるカフェを始めた理由のひとつだった。

※写真は、ジャジャちゃん、テンテンちゃん、ユアちゃん。

「ベジタリアンのお店」「わんちゃんが入れるお店」この2つの特徴があるから、駅から遠いこの場所に、わざわざ足を運んでもらえてると思う。期待に応えたいと思うし「やっとこれました」とか「わざわざ来て良かったです!」という言葉をもらうと、本当に嬉しい。しかし、飲食業で、安定した利益を出すことが、本当に難しい。

学生時代、とある部活に所属して、違和感を感じながら「辞める勇気」がなくて、やり通したものがあった。「途中で辞めること」がいけないことだと思い込もうとして、自分の勇気のなさを正当化してきたのかもしれない。すぐに辞めることを繰り返していたら、何も得るものはないと思うけれど、変化を恐れた自分を後悔してた。決断の早い経営者を尊敬するし、自分もそうありたいと思うのは、そういう経験も大きいのかもしれない。人生無駄な経験はひとつもなく、きっと全部、今に繋がっている。

仕事しないで生きれるほど、お金があったらいいなぁと思うこともあるけれど、それはそれで、幸せなのかもわからない。きっとね、みんな、悩みながら生きてるんだと・・思う。この世に、悩みのない人なんて、いるのかな。悩んでもがいてその中でいろいろ学ぶために生きてるのかなとも思う。何をしないで立ち止まるより、とにかく必死で動いてみるのが「生きる」ことなのかもと思ったりする。だけど、もがき苦しみすぎて、脳がぐちゃぐちゃになってます。

結論のない文章をだらだら書いていますが、本当に、自分は、なんのために働いてるのかな?と日々考えています。また、長くなったので(笑)今日はここまでにします。

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昨日、撮影に協力してくれたわんちゃんのご紹介です。

リッチョちゃん、サーレちゃん。

 

ラルフちゃん。

 

リリちゃん。

 

ユアちゃん。

来店ありがとうございました!

 

 

 

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